私と尾道鉄道-動画の補足というか蛇足-

動画制作裏話
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動画では語り切れなかった点や補足や私の思いなどをつらつらと書き留めたものになります。

動画はこちらから↓

尾道鉄道を知ったきっかけ

私の祖父の実家は三原市久井町にあり、祖父母は私の両親や私と福山市の西部に住んでいました。そのために、お盆や彼岸に三原市の祖父方の墓参りをしていました。その道中、三成から御調まで国道184号線を通っていくのですが、そこに廃止になった鉄道があることを墓参りの度に祖父から聞いていました。途中の4号トンネルには、墓参りからの帰りに祖父母と一度立ち寄ったことがあるのですが、それ以外の場所には行ったことがありませんでした。

尾道鉄道について祖父からは、電車であったこと、スイッチバックがあったこと、脱線事故を起こしてすぐそばにあった医者にけが人が担ぎ込まれたことなど、断片的にしか知っていませんでした。小学生の頃のことです。

また、このころ親に習い事をいくつかさせられていたのですが、習い事と習い事の合間に中途半端な時間があり、近くの書店に立ち寄って鉄道の本を読んでいました。そのときによく読んでいたのがJTBの「鉄道廃線跡を歩く」シリーズでした。尾道鉄道の廃線跡ももちろん乗っていました。小学校のころから廃線跡への興味は少しずつ大きくなっていきました。

4度に渡る廃線探索

初めて尾道鉄道の廃線跡を調べてみようと思い立ったのは、高校1年のころだったと思います。中学生のころにちょっと遠い学校に進学してしまい、小学校の友人とは疎遠に、中学生での友人とは住んでるところが離れているので遊びに出るということがありませんでした。そんな遠くへは遊びに行けないという思い込みがありました。高校生のころになって、自転車の交通安全について色々個人的に学んでいるうちに、自転車ってもっと遠くへ行けるものなんだという気付きがあり、あちらこちらへ出かけるようになっていきました。

そういう訳で高校生になるまで廃線跡を辿れませんでした。2014年のことだったと思います。この時にやっと初めて訪問ができたのでした。なお移動手段はママチャリでした。初めての調査では、尾道~栗原を調べました。この時には栗原モータースのところの橋梁くらいしか分からなかったと思います。あとで現役時代の写真などを見て、色々と気づくのですがそれは大分さきのことです。

高校生の時にもう一回探索に出かけたと思うのですが、どこを調べたか、記憶が曖昧です。もしかしたら探索自体なかったかもしれません。何となく新尾道駅の近くを複数回走った記憶があるので多分していると思うのですが、記録を取っていなかったのでぼんやりしています。

2017年ごろに三回目、これが大池~市までの大部分にわたる探検でした。数か月前に祖父はなくなっていたので証言を聞くことができなかったのが色々と悔やまれました。大学1年生の時だったと思います。これもやはりママチャリでしたので大池近くの仙入峠と石畦からの坂道が物凄くきつかったのを覚えています。この時に廃線跡だけでなく、御調ダム、野間川ダムのダムカード集めとみつぎグリーンランドの廃遊覧鉄道も行きました。かなり苦しかったです。

2020年、尾道インター近くの橋台跡と踏切事故の慰霊碑をこれまでの探索で見落としていたので、近くまで来たついでに確認しました。これが4回目の探索です。

『なぜ』という疑問

第三回の散策の時に坂道がとても苦しかったとは述べました。そこでふと疑問に思ったのです。

なぜこんな峠越えのあるところに鉄道を作ったのだろうか?

尾道市街と三成市街の間には仙入峠という峠があり、美ノ郷~御調の間にはきつい峠越えがあります。三成に鉄道を通したければ、松永から藤井川沿いに通せばよく、御調に線路を敷設したければ、芦田川・御調川沿いに延ばすのが理に適っています。鉄道は道路交通と比べても勾配に弱いので、避けた方がいいからです。

尾道鉄道は上下まで敷設予定があったことは小学生のころから知っていたので、なんで尾道のような鉄道の立地に向かないようなところから、延ばすのかが謎でした。そこから調べていったんです。なぜ尾道を通す必要があったのかは、動画の通りです。

参考にした文献について

ここで参考にした文献とそれについてお詫びしておきます。

色々な部分で尾道学研究会の『タイムスリップ・レール…オノテツ 尾道鉄道データファイル TIME SLIP RAIL ONOTETSU』にお世話になりました。尾道鉄道において必要な情報をここまで手に入れることができたのはこの本があったからです。

この本以外に様々なサイトを参考にしつつ、特に尾道鉄道がなぜ建設されたのかの部分では自説を組み立てていきましたが、初の探索からは7年がかかり、また当時解説動画や記事を書いたことがなかったために、参考にした部分をメモを取るという習慣がありませんでした。そのために残念ながら、上記の本を除いて参考にした文献を提示ことができません。信憑性は怪しいものになってしまうと思いますが、尾道鉄道について、私になりに推測したことと尾道鉄道という鉄道があったことをを完全ではなくとも、世に知らしめたかったので、このような形ではありますが動画にしました。

なお使用した画像・映像についてはクレジットのあるものは引用したもの、ないものはクレジット表記不要の素材を使用したか、私自身が用意したものです。またBGMは甘茶の音楽工房からお借りしています。

廃線のこれから

動画では触れ忘れていたのですが、中国新聞の2020年の7月15日付の記事で、に尾道市貢町の住民グループ「チームクロスみつぎ」が終着駅だった市駅近くに尾道鉄道のミュージアムを作ろうと模索している、と報道がありました。同団体のFacebookなど確認したところこのミュージアムに関係した動きはあまりないようですが、どうなるか注目しています。

また私はまだ訪問できていませんが、御調歴史民俗資料館にも尾道鉄道の資料がいくつか展示されているようです。第3日曜日だけの開館なのでなかなか行けませんが、こちらもいつか見学したいところです。

さいごに

祖父が生きている間にこの動画を作れなかったのが心残りですが、この廃線跡を知るきっかけになった祖父にささげたい。

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